葬儀〜そこから見守っててね。
2007 / 08 / 02 ( Thu ) 日曜日、入院してたおじいちゃんが亡くなった。
最近は毎週お見舞いに行ってたし、最後に話をしたのは地震のあった日だった。あの時もかなり衰弱してたし、何よりもダルそうだった。もう長くはないって、先生からも言われてたし、本人の希望もあって、先週の半ば退院した。あたしは一緒には住んでなくて、従兄妹のうちで介護ベッドも用意して、やっと自宅に帰ったけど、自分がいつも寝てた布団の方が良いって言って、結局ベッドは使われないまま。 退院してからは、特に辛かったみたいで、痛過ぎて身のやり場もないくらいだったそうだ。痛み止めも効かない状態で、元々痩せてたけど、ほんとに骨だけしかない状態。お母さんが毎日お見舞いに行ってたけど、「また来いよ、俺は死なねぇっけな」ってのが最後に交わした言葉だったみたい。 あまりにも辛そうってことで、息子であるお父さん達が話し合って、モルヒネを打つことにしたんだと思う。この辺のことは、あんまり突っ込んで聞いてないけど、お父さん達3兄弟の苦渋の選択だったんだろうと思う。打てば、痛みは取れるけど、どうなるかは素人にも推測できる訳で。あたし個人の考えは、モルヒネで痛みが取れても、意識が朦朧として、誰が誰だかも分からなくなるなんて絶対嫌なんだけど。でも、それは末期ガンの痛みの苦しみを知らないから言えるのかもしれない。最後くらい安らかにとも思えるから。 結局、そのために再入院になったので、土曜日お見舞いに行ったけど、その時にはもう意識は朦朧としてて、時々目が開いても、見えてないような感じだった。ただ、手を握ると握り返してくれる時があって、それだけが心の救い。次の日の日曜も、お母さんの方のおじいちゃんちに行ってから、お父さんの方のおじいちゃんが入院してる病院へ。 明らかに、昨日よりも弱ってるのが分かって、それだけでも泣きそうだった。午後からどんどん呼吸が弱くなっていくのが、ベッドの横で見ててよく分かった。ただ耳元で「おじいちゃん!!」っておっきな声で呼ぶと、目を開けてくれることが何度かあった。焦点はあってないような感じだし、目の色も明らかに普通ではない色なんだけど。 病院から、ご家族の方を呼んでくださいって言われて、仕事中のお父さんにお母さんが電話した。あたしはずっとベッドの横で手を握ってたけど、目が開きっぱなしになって、顔色がどんどん変わって、そのうち呼吸が止まったのが分かった。看護婦さんが来て「呼吸が止まってますね、先生を呼んできます」って言って、数分後来た先生が「6時3分、ご臨終です」って言って、終わった。 涙がボロボロ落ちてきて、止まらなかった。お父さんは結局間に合わなかった。 月曜、火曜は通常通り仕事をして、水曜日はお通夜、今日は告別式だった。受付をしてたので、忙しくて悲しむ暇もない感じだった。お通夜は300人以上の人が来てくれた。お棺に花を入れる時に、いつもの帽子とサングラスをつけてるおじいちゃんの顔を見たら、また涙が止まらなくて、火葬場まで泣いたり、こらえたり。 火葬場では他の人もみんな泣いてた。おじいちゃんは、あたしが病気(って言っていいものなのか分からないけど)だってこと、なんとなく分かってて、お母さんに「なんでいっぱい食べちゃうんだろうなぁ」なんて言ってたことがあったみたい。入院した時も、お見舞いに来て、何も言わなかったけど、ものすごく心配掛けたと思う。 当たり前だけど、人はいつかは死んで、骨だけになってしまうんだって、納骨の時に涙をこらえながら思った。おじいちゃんは一緒には住んでなかったけど、うちの庭の手入れが生きがいみたいな人だったから、元気だった頃は毎日うちに来てた。今はもう思い出しか無くて、顔を見ることも話すこともできないんだって、当たり前だけど、それが言葉にできないくらい悲しく思う。 とにかく、それでも、明日会社に行けば、いつもの通り忙しい時間の流れに飲み込まれるんだろうなと思う。 |
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